アメコミもぐもぐ

アメコミ好きの大学生が感想を書くブログです。

Avengers: No Surrender

Avengers: No Surrender

突然各地で大災害が発生した地球。アベンジャーズは人々の救出に乗り出すも、ヒーローたちは謎の力によって数人を残してフリーズし行動できなくなってしまう。残されたアベンジャー達の前に助っ人として現れたのは、初代にして最高のアベンジャー、ヴォイジャーだった。

原点回帰を目指して行われたイベント、Marvel Legacyの一環として始まったクロスオーバーがこのNo Surrender。当時無印やらUncannyやらOccupyやらいろんなチームに分かれていたAvengers系列誌をまとめるだけあって、久々に全員が揃うだけでも迫力満点で最高なうえ、テーマもアベンジャーズ、そしてヒーローの存在意義にかかわる深いものだ。

今回の災害の原因となったのが二人のエルダーズ、グランドマスターとその兄弟チャレンジャーが始めた地球を舞台にそれぞれの集めた駒を使って各地に配置されたオブジェクトを奪い合うゲーム。かつては家族の絆で結ばれていた二人にはお互いがゲームに勝ってグランドマスターの称号を得ることを求めすぎたあまり決裂してしまった過去がある。

そして正体不明のヴォイジャーも実はゲームの駒として地球に送り込まれたグランドマスターの実の娘であり、アベンジャーズは記憶を改ざんされて彼女を栄光のアベンジャーだと思うよう操られていた。

エゴを追求し続ける者たちの争いに巻き込まれ、記憶の中では勝利と栄光を手にしている偽りの英雄に騙され続けたチームだが、終盤になるにつれて彼らが闘う意味や団結できる理由など、いわばアベンジャーズ哲学みたいなもので脅威に対抗していくことになる。

ヒーローは決してエゴのために力を使わないからこそその行動が彼らをヒーローたらしめるわけであり、それゆえアベンジャーズは必ずしも勝利にこだわるわけではない。むしろ彼らは脅威に立ち上がり人々を救うために立ち上がるが、ゲームのような勝ち負けのある闘いにこだわっているわけではないのだ。その無益な目的のために行動するからこそ、彼らは同じ志を持つ仲間たちと集まり、チームとして、アベンジャーズとして団結することができる。エゴを追い求めて対立したエルダーズと栄誉や勝利を求めないが故に団結するアベンジャーズがいい対比になっている。

アベンジャーズをだまして潜入し後に改心するヴォイジャーも、記憶に残ることや尊敬を集めることだけではアベンジャーにはなれないことの証明になっている。皮肉なことに彼女がアベンジャーズに真に認められるのは正体がバレて栄誉を失い過去の記憶からも消えた後だ。アベンジャーになるのに本当に必要だった無欲さと立ち上がる覚悟に気づき賛同した後、ヴォイジャーは一度敵だとさえ思われたアベンジャーズにも再度認められる。一度嘘の記憶と栄誉で塗り固められたキャラクター像を提示しながら、どんでん返しの後に彼女が本物のアベンジャーになるために必要なものを見せていくと同時にアベンジャーの定義を再確認していくプロットには脱帽だ。

そんなこの物語のテーマをまさに象徴するような場面が最後のポーカーのシーン。一度アベンジャーであった経験はあるものの読者からすれば無名なB級キャラであるライトニングが地球を救うため、グランドマスターに対してまさに敵の本領であるゲームを挑んでいく。グランドマスターに地球の開放を賭けさせる代わりに彼が賭けたものは自身の自由、命、そして今まで闘ってきた栄光だった。エゴでしか行動できないグランドマスターは自身の名誉を他人のために捨てかけるライトニングの行動に動揺し勝負に敗北。その後うろたえながら相手になぜ勝てたのか問いかける。ライトニングの答えは"Oh, honey. I don't play."だった。

ゲームに勝ち栄誉を手にすることそのものが目的でポーカーをするグランドマスターには、他人のために立ち上がり栄誉さえも捨てる覚悟でポーカーに挑んだライトニングのような強さはない。誰かに記憶されるために闘うわけではないという彼の出した答えが、無名キャラであるライトニングがそれでもアベンジャーであるのがなぜかというメタ的な問いかけの答えにもなっている。この人選とテーマがマッチして最高にかっこよく決まるシーンはまさに鳥肌モノだった。

続編として同じ制作陣によるNo Road Homeも始まっているが、今作で提示されたものを踏まえてヴォイジャーやチャレンジャーがどう動いていくのか気になって仕方がない。

 

Avengers: No Surrender

Avengers: No Surrender